富田の清水は「とみたのしみず」ではなく「とみたのしつこ」と読みます。
その富田の清水は青森県弘前市紙漉町5-2にある湧水で、趣のある建屋の中にあります。
紙漉町には数多くの湧水があり、それらを総称して「富田のしつこ(清水)」と呼ばれていました。この豊富な湧水を活かして、江戸時代から和紙の生産が行われ、昭和初期頃まで続いていました。
この建屋のある湧水は、地域住民の生活用水として使用されてきました。
中には6つの水槽が並んでいて、
- 1番目:飲用水
- 2番目:飲用水
- 3番目:食糧の洗浄・洗面用
- 4番目:紙漉の材料洗い場⇒野菜や漬物等の冷却用(現在)
- 5番目:洗濯・足洗い等
- 6番目:洗濯・足洗い等
以上のように水槽に応じて用途が暗黙の了解で決まっていたそうです。
富田の清水がある青森県弘前市紙漉町5-2は、岩木山の東南東にあり、岩木山にしみ込んだ雨が湧水となって湧き出ているものと思われます。
「富田のしつこ(清水)」へ行くには、以下のアイコンをクリックしてもらえたらGoogleマップでルートが表示されます。
弘前市にあるその他の名水
清水観音水
青森県弘前市桜庭外山にある多賀神社の本殿裏にある清水観音水は昭和63年に青森県が「私たちの名水」に選定しました。
堂ケ平桂清水
青森県弘前市大沢地区堂ケ平にある堂ケ平桂清水。
林道を分け入った突き当たりの桂(かつら)の老木の間から湧き出している清水は、林業従事者や山菜採りの人の飲料水として、または参拝者の浄水として利用されています。この場所は、鎌倉時代初期に大きな勢力を誇っていた熊野系修験の福王寺跡であると伝えられています。
清水観音水と同じように、昭和63年「私たちの名水」に選定されました。
御茶水
青森県弘前市石川地区西の沢にある御茶水。湧水量に富み、近くで農作業をする人などに飲料水として利用されています。
明治14年に明治天皇が行幸された際に、この湧水を使ってお茶を召し上がられたことから「御茶水」と呼ばれています。
清水観音水と同じように、昭和63年「私たちの名水」に選定されました。